映画「累-かさね-」にみる邦画の原作映画の闇
70点
今日は映画レビューメインってよりも原作映画を量産する邦画への文句を交えた感想多めって感じです。
なので映画の詳細レビューはまた別の機会にでもしますね。
さて映画『累-かさね-』はのりたまも僕も原作を読んでいて実写化された際には、是非観たいねーって話をしていた作品だったんですよ。
まあ、映画単体を切り出してみればまあ悪くなかったです、普通に楽しめました(のりたまは絶賛してた)
でもね、、、いやだからこそ言いたい、邦画界の原作映画作りの姿勢には心底ガッカリだと。
テーマが崩れとるやんけ!
(この圧倒的な熱量をキレイな顔で演じるのは無理がある)
公開前から言われていたキャストミスの話なんですけど、累という漫画のテーマは顔であり『美と醜』です。
『顔が悪いなら全て悪い、ブサイクには価値はない』というシンプルなテーマですね(そこに嫉妬、自己嫌悪、コンプレックス、ナドナドを盛り付け)
にも関わらず累役の芳根京子は顔に傷があるだけで醜いとはとてもとてもとても言えません。
そもそも漫画のメインテーマを変えてまで映画を作るのなら、それもうオリジナル作品でいいのでは?ってなりますよね。
確かに面白ければ何でもいいと言うのはわかるんですよ、実際僕もそうですからね。
それに僕は原作をそのまま映画にしてほしいわけでもなく、そういったものを観たいわけでもないです。
ただ原作を映像化するにあたってテーマを覆してしまうようなキャスト選びはどうなんだって話なんですよ。
徹底した役作りは原作へのリスペクト
(目と鼻と口が正しい位置についとるやんけ!やりなおし)
僕は別に累役を芳根京子がやるのはダメとは言っていません。
だけどやるならガッチガチの特殊メイクするとか、20kgくらい太って誰がみてもブスってくらいの役作りをしてほしかったのです。
累は別に太ってないけど、特殊メイク以外で美人がブサイクに変身するのにお手軽な手段ではありますからね。
そしてそうすることによって観客の没入感を上げ、映画がよりリアルになるのは言うまでもないでしょう。
正直キレイな顔に傷だけつけても見栄えのいいファンタジーとしか思えないんですよ。
原作を映像化するにあたってベストを尽くすのは原作への最大のリスペクトではないのでしょうか。
なぜ邦画業界は観客が求める漫画原作映画を作れないのか?
理由の一つに「観客が求めてないから」というのがあります。
そもそも僕のようなスッゲー映画を作ってほしい!観たい!だなんて思ってる人はマイノリティ(少数派)なんですよ。
映画館に行く大半の人は「好きな俳優がでてるから」とか「なんとなく話題だから」とかって程度の理由で行くんです。
つまり映画にそこまで高尚なもの求めちゃいないし興味もないんですよね。
マイノリティが求めるものを作るのって『コスト』ばかりかかって『利益』が少ないんですよ。
そんな事できる余裕は斜陽産業になりつつある今の邦画業界にはないですからね。
だから『利益重視』で『コスト』をかけない原作ありきの作品が多いわけです。
あとは芸能事務所による『タレントを売り込むための映画』問題でしょうか。
いい映画を作りたい!そうだあの俳優なら適任だ!という順番だった映画作りは、このタレントを売り込みたい!だからあの映画にうちのタレントを出演させよう!ってなってるんですよ。
それだけ映画を作ったタレントの宣伝って効果があるんでしょうね。
でもこんな勢いで原作を諸費していくと、いずれコンテンツの衰退という結果に繋がると思うんですけどね。。。
累が好きな人は富田望生主演の『宇宙を駆けるよだか』
(富田望生の体なしには伝わらない美と醜の対比)
ツラツラと文句を垂れ流してきましたが、最後に『累』と非常に良く似た設定で『宇宙を駆けるよだか』という漫画を紹介しておきますね。
こちらも入れかわり系で『宇宙を駆けるよだか』は富田望生主演でNetflixのドラマになってます。
そんでこれがまた本当に良くできていて、僕が原作に求めていたのはこれだ!って思いましたよ。
というか原作よりもいいまであります。
気になる人は是非Netflixで観てみてください!
ちなみに原作は『累』よりかは全然ライトな内容の作品で(全3巻)サクッと読めますよ。
最初はB級ホラー・サスペンスのノリで読んでたけど、途中からはズッシリと心にのしかかる作品になってました。
かなりファンタジーでご都合主義だけど少女漫画らしいラストにはちょっとしんみり。
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