[美しさが]ネオンデーモン ネタバレ 感想[全て]
あらすじ
「ドライヴ」のニコラス・ウィンディング・レフン監督がエル・ファニングを主演に迎え、究極の美を追求するファッション業界に渦巻く欲望と狂気を、きらびやかに彩られた独特の映像美とスタイリッシュな音楽に乗せて描いたサスペンススリラー。トップモデルを夢見て故郷の田舎町からロサンゼルスに上京してきた16歳のジェシー。人を惹きつける天性の魅力を持つ彼女は、すぐに一流デザイナーや有名カメラマンの目に留まり、順調なキャリアを歩みはじめる。ライバルたちは嫉妬心から彼女を引きずりおろそうとするが、ジェシーもまた自身の中に眠っていた異常なまでの野心に目覚めていく。モーテルで働く男ハンク役にキアヌ・リーブス。(映画.comより)
予告
60点
美しくなければ存在できない世界
のりたまがファッション大好きウーマンな影響か僕もファッション業界をネタにした映画って何となく好きなんですよね(自分のファッションには無関心だけど)
と言ってもガチ目なファッション映画ではなく、『キンキーブーツ』のようなジェンダーを盛り込んだ作品とか『プラダを着た悪魔』のようにエンタメ特化してる作品が好きなのでファッションが好きというよりは「ファッションにハマりこんでいる人を観るのが好き」と言ったほうが正しいですね。
にしても女の子ってなんだってあんなに服を買うんですかね~?
バッグ、靴なんていくらあっても足りないとは言うけれども、僕は「バッグは1つ、靴は3つくらいでええんでない?」なんて思っちゃいます。
さてこの映画は下手なミステリー映画よりもよっぽどミステリアスで、スプラッターよりもよっぽどエグい❝女性❞を感じ取れる映画でした。
ただ抽象的過ぎる映像が多く、「え~とアレってどういう意味なん?」って考えている内に映画は終わっちゃったなんて人もいるんじゃないですかね。
まあ、アチラコチラで言われているようにかなり人を選ぶ映画なのは間違いないです。
目次
ザックリとストーリー紹介
・田舎から出てきたジェシーは知り合ったカメラマンのディーンの撮ってくれた写真を手にモデル業界に殴り込む。
・面接のお姉さんに「アナタはこの業界で成功できる」と太鼓判を押され、トントン拍子で人気を手にしていく。
・だが止まっている安モーテルの管理人に襲われそうになり、メイクアップのルビーのところに逃げ込む。
・ルビーはジェシーに恋愛感情を抱いており、体を求めるが拒否する。
・ブチ切れたルビーはバイトの死化粧の仏さんで自分を慰めた後に、ジェシーに嫉妬感情を抱いている二人のモデル(ジジ、サラ)を誘ってジェシーを襲う。
・ジェシーはプールの上から突き落とされ、出血多量で死亡。
・ルビーはジェシーの血でお風呂に入り、ジジとサラはジェシーの美しさを手に入れるためにジェシーの肉体を食べる。
・翌日ジェシーを手に入れたルビーは一人おもらししながら快楽に浸り、ジジとサラはモデルの仕事にいく。
・サラは❝賞味期限ギリギリ❞なのを若手にバカにされ撮影に使ってもらえずにいたが、ジェシーを捕食して妖艶な魅力を手にした更に気づいたカメラマンが若手をおろしてサラを起用。
・だがジジはジェシーを食べてしまったことに罪悪感と嫌悪感をいだき、現場を離脱して食べたジェシーの目玉を吐き出して自分のお腹をハサミで割いてしまう。
・サラは涙を流しながらもジェシーの目玉を食べ、何事もなかったかのように仕事に戻ってEND
映像美は凄い!でもかなり抽象的
(前半と後半のエル・ファニングの変化が凄い)
色の使い方はキレイだし女優さんたちも美しくて世界観はとても素敵です。
だが美しい映像をみせられたのならそれに意味を求めてしまうのが人ってもんです。
映画はただの絵じゃないのだから美しさには動的な理由があるって思うのが自然なわけでして、もちろん監督的にはいろいろな意味を込めているのでしょう。
ただそれが理解しづらいというか人によって意見が変わりそうです。
下に個人的に気になった3つのシーンと自分なりの解釈を書いてみました。
・家を荒らしてきた山猫
・三角形に写り込んだそれぞれのジェシー
・ルビーのおもらし(比喩表現)
山猫はジェシーの内面を示唆(部屋の中に獣=ジェシーは内側に獣を飼っている的な)
そんで三角形はジェシーの内在する自分(妖艶なジェシー、強気なジェシー)であり、その色が変わることは、内気なジェシーが積極的なジェシーに支配されたというか入れ替わった事を表しているのでしょう。
青色だった三角形が赤色に変わるのは冷静とか理性を表していて、それが赤に変わるのは情熱とか本能みたいなものを示唆しているのでしょうからね。
ルビーのおもらしに関しては、ま~ジェシーを我が物にしたというカタルシスを感じている様なのでしょう(そのまんま)
ジェシーの性格を徹底考察
(世間知らずの娘っ子・・・には最初からとても思えませぬ)
映画で徹底解剖されちゃったジェシーちゃんですが、ここでは彼女の人物像を徹底考察していこうと思います。
なぜなら映画ではジェシーは主役なのにどんな子なのかってあまり描かれていないんですよ。
まあ、抽象的に映像で彼女の内面を描いたシーンは沢山あるんですけれどもね。
そこでゆでたまなりにジェシーって子をプロファイリング(かっこいいから使ってみたかった言葉)してみますね。
ジェシーは何故親に危険視されてたのか?
ジェシーは幼い頃に実の親に心配されるくらいヤバイ子だったのが、終盤のプールのシーンでわかります。
では何故ジェシーは実の親に危険視なのか?
これは言うまでもなくジェシーが「自分の美しさを本能で理解している」からです。
美しいと言う事はそれだけ周りに与える影響は大きく、人ってのは美しい存在を無視することはできず、憎悪か羨望のどちらかの感情を抱かずにいれません。
まあ、簡単に言ってしまえば強力無比な武器なわけですよ。
んでジェシーはそんな自分の特性を本能でわかっていて、それを本能的に使いこなしていたのです。
例えばルビーという強力な助っ人を新人でありながら得たり、ディーンに部屋代を払わせたりと❝何も知らないいい子❞に見えるから享受できた利益なんですよね。
そしてそこから想像するに、小さい頃なんかは男の子に囲まれてチヤホヤされたり、必ず美味しいところを持っていくのにみんなに好かれてたんじゃないんですかね。
もちろん、それだけではなくそれに伴うリスクをまるで管理できていなく、歩く危険人物みたいになってたのではないでしょうか。
そんで、そういった天然な子悪魔っぷりを親は見抜いていたんじゃないかなと。
ジェシーの魅力の秘密は?
(違いのわかる男ジャック、その能力は警察の捜査に活かすべきかと)
ジェシーはただ美しいから皆を引きつけているわけではありません。
言ってはなんだけどジェシーレベルの可愛い子って探せばファンション業界にはいくらでもいるでしょう。
じゃーどこなのよって言うと、ジェシーの美しさの秘訣はティーン・エイジャー独特な危うさに起因しています。
劇中で誰も彼もがジェシーに夢中になっているのは彼女が❝何も知らない、何にも抵抗のない無垢な存在❞に映っていたからです。
ラスト終盤で敏腕カメラマンのジャックが、若手よりも賞味期限切れのサラを被写体に選んでいるシーンがあるじゃないですか。
アレは人を食って人ならざる危うい存在感を放っていたからです。
本質的にはジェシーもサラも同じでして、どちらも❝危うさ❞が美しさの秘訣になっているんですよね。
僕らも映画を観る時に求めるのは自分にないものだったり、珍しいものじゃないですか。
何も知らない無垢な少女、カニバリズムで美しさを保てると本気で信じている狂人。
どちらも超魅力的ではありませんか?僕ら映画を観る側が求めるものはそんな非日常なんです。
そしてジャックは僕らユーザーに非日常を届ける配達人なのだから当然、危ない魅力を放っている人間を見分けられるわけなのです。
ジェシーは何故プールであんな暴露をしてしまったのか?
ジェシーってま~危なっかしい生き方してますよね、いつどこで誰に恨みをかったり、襲われたりしても文句はいない生き方です。
でもそれは天然の美貌と天然な脳ミソでなんとか防いできたんですね。
だけどそれもモデル業界という強大なモンスターに食われてしまったのでした。
モデル業界はその子の美しさを極限まで高める場所であり、モデル業界で輝いている内に、自分の美しさに本能ではなく・・・頭で理解してしまったジェシーは❝天然というセーフティをなくしてしまった❞のです。
明確に変化が訪れてしまったのはランウェイを歩いた時で、その時に「あぁ、やっぱり私は美しいんだ。だから私は輝けているんだ。もう自分をごまかす必要はない」と頭で理解しちゃったんでしょうね。
そしてこの瞬間にジェシーはサラやジジの仲間入りをしてしまいました(モデル業界の住人になった)
きっとティーン・エイジャーのままだったなら取って食われるまでもなかったでしょう。
だってサラやジジがほしいのはティーン・エイジャーとしての魅力ではなく、モデル業界で輝ける力ですからね。
思えばこういったジェシーの危うい生き方は何度も何度も劇中で示唆されているんですよね~。
冒頭の山猫侵入の窓の不用心さとか、ライバルモデルに平気で死体蹴りするような言葉浴びせたりとか、自分に惚れているルビーの家に泊まりに行くとかね。
生半可な気持ちで踏み入れてはいけない場所に、もっとも踏み入れてはいけない人種が足を踏み入れてしまったわけですな。
惹かれる部分は沢山あるがどれも中途半端
(今作の一番のお気に入りキャラ、笑顔が不安定感マックスで怖かった)
さて色々自分なりに考察してみてもやっぱり映画全体で観ると中途半端に感じてしまいます。
モデル業界、女と美しさ、ルビーの異常性、悪魔っ娘ジェシーなどキーワードを切り取ってみるとすげー楽しい映画になりえそうな要素は多いんです。
でもどれもがメチャクチャ中途半端なんですよね~。
モデル業界の光と闇を描ききれているのかって言われたらそんなこともないし、女の美しさと嫉妬心などがえげつないのかって言われたらそれもない。
個人的にルビーというキャラの異常性には心が高鳴ったのに出番も少なければ、特にそこに深みもないんですよ。
悪魔っ娘ジェシーはお馬鹿なせいですぐに退場しちゃうし、観てて退屈ってよりも尺が足りん!もっと色々見せろ!!って気分でしたね~。
まあ、僕は観るものに判断を委ねる系映画ってちょっと苦手なので相性の問題かもしれません。
うーん、でもルビーのキャラ勿体無いなあ、ルビー主体で映画を一本作って欲しい。
(このシーンの意味よくわからなかったけど、ジェシーのおめめをくり抜いて~って意味なのかしら?)
ちなみにルビー好きにオススメの映画があるので、是非観てよう!
(内容は女検屍官によるアブノーマルなフェチズムです。)
キアヌの雑な使い方が笑えて癒やされる
(ド変態のサイコキラー役で一本お願いしますキアヌさん)
全体的に暗く重い上にストーリー展開もすっとろいのでキアヌがメッチャ癒やされます。
キアヌの登場シーンだけ何故かコメディみたいになってますからね。
ちょっと関係ないけれども『ノック・ノック』ではキアヌは超絶ヘタレで可哀想なおっさんだったのが、今作では一転して超絶DQNなレ◯パーになってるわけですが、そこで是非とも『ノック・ノック』の世界に殴り込んで、あの悪女二人をヒーヒー言わせてほしい!なんて妄想しちゃいました。
更に関係なくなるけれども僕はヴィランVSヴィラン的な映画って大好物なんですよね、特にホラー系のヴィランVSヴィランはもうたまらん!
個人的にはレクター博士VS~系を出してほしいものです。
(全然関係ない話スミマセンでしたm(_ _)m)
まとめ
観てる間はかったるい展開にあくびが出そうになるんですけれども、終わってみると「アレ?意外とここよかったな、あそこよかったな」と思える映画でした。
キャラの心情や映像の意味が言葉で語られない分、考察や妄想も捗りますしね。
個人的にこういう尖った映画って嫌いじゃないので、ニコラス・ウィンディング・レフン監督の作品が出たらその度観ていきたいと思えます。
ただ間違いなく万人に勧められる映画じゃないし、そもそも序盤のストロボ攻撃は本当にやめてください、死んでしまいます。
超好きな映画です、キウェテル・イジョフォーの演技がたまんない!
サクッと観れて気持ちよ~く終われるいい映画。
ただ恋愛観がお硬いとちょいと納得いかない所もあるかも。
まるでストーリーは覚えてないけれども、アクションとかゴア描写が気合い入りまくりで面白かったです。
実はまだ未見だったりする、いや~評判いいんでみたいとは思うんですけどね。
今晩は中村です。
プッシャー三部作で見事にハマってしまったレフンの新作ですが、私はこれホントにダメでした。
前作のオンリーゴッドも映像重視のスカスカな映画だという評判が目につきましたが、監督の生い立ちや母親に対する恨みなどを反映させたのであろう部分が分かったのでそれはそれで面白く観れたのですが今回ばかりは只々意味不明でした。
どこが悪いと言われればまた難しいんですがレビュー内でもでている最初のストロボのショーなんて人がなんか浮いてる?だけでなにかの意味を感じ取れなんて土台無理な話です。
映像よりストーリーを重視(というよりはストーリーがあって初めて映像に価値が出る)している者としてはこの様なものは只々無駄としか感じられなかったです。
通して考えれば、簡単に言えば美に取り憑かれる恐怖を表したかったのでしょうか?まあちゃんと表せられていたかと言うとまたそんなこともない気もしますが。
友人の間ではレフンの最後(もう見ないという意味で)と言われていますがなんだかんだライアン・ゴズリングにも影響を与えた監督なので昔の作風でより一層の活躍を期待します。
昔から好きな監督だったので突き進む悪化に堪えられず口悪くなってしまい申し訳ないです。
中村さん、こんばんは。
うちののりたまと同じ感想ですね(^^;)
基本的にオンリー・ゴッドもコレもストーリー意味不明というか・・・伝えたいメッセージみたいなものがわかりませんよね。
僕は妄想ワールド全開で「こうだったらいいな」と自分なりにキャラクターの心情を設定したりしてそれなりに楽しめちゃいましたけど、人によっては意味わからんわ!( ゚д゚)、ペッ
ってなっちゃいますよね。
ストーリーの上に映像が乗っかるってのは激しく同意です、やっぱりただ綺麗な映像ってだけじゃー監督の自己満としか思えませんよ。
監督さんが好きであればあるほど感情的になっちゃうもんなので、全然大丈夫ですよ!むしろ感情的に映画を語ってもらえるのって僕は一視聴者として嬉しいです。
やっぱり好きなものほど熱く語り合いたいですからね、それに人と違った感性、違った感想って聞いてて映画のように面白いし飽きないですから。