[生きる意味]明日、君がいない ネタバレ 感想[存在の意味]
あらすじ
オーストラリアの新鋭ムラーリ・K・タルリ監督が、友人の自殺や自らの自殺未遂といった実体験を基に、思春期の若者たちが抱える心の闇を描き出した衝撃作。ハイスクールに通う6人のティーンエイジャー。様々な悩みや問題を抱え、その繊細な心は今にも押しつぶされそうになっていた。そしてある日の午後2時37分、そのうちの1人が自殺を図る。彼らのリアルな現実をそれぞれの視点で捉えながら、事件が起こるまでの1日を描いていく。(映画.comより)
予告
100点
人は一人では生きてはいけない
所謂鬱系っちゃ鬱系の映画ですが、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」とか「レクイエム・フォー・ドリーム」とはまた違った毛色の欝系です。
それとこの映画のオチというか伝えたいメッセージって人によっては心底理解できないと思うんです。
そういった人が観ると多分「なんじゃそりゃ?」で終わってしまう可能性がとても高いです。
でもそのメッセージに共感できちゃう人はドップリとハマれますよ。
あんまり共感しちゃうとしばらくズーンと凹んだ気分になって、生きることについて考えてしまうかもしれませんね。
それくらい強烈なメッセージをもった映画なので未見の人は是非とも観てほしいと思えるいい映画です。
あ、ちなみに字幕よりも吹き替えの方が観やすいのでこだわりがなければ吹き替え版から観たほうがいいです。
また恐らく2週観たくなる映画なので、吹替版で内容を正確に把握→字幕版を楽しむといった流れが個人的には楽しめるかな~と思います。
ザックリとストーリー紹介
・午後2:37分、オーストリア南部のある学校である生徒がトイレで自殺をする所から映画は始まる
・その日の朝にまで時は戻り、数々の悩みを抱えた6人の生徒たちがインタビュー形式で紹介される
・それに加え6人の生徒が抱える悩みを献身的に聞いてくれるケリーを交えた7人によってこの物語はスタートする
・そしてケリーによって6人の生徒が抱える闇が露呈していく
・優秀な親をもって失敗を恐れてばかりのマーカスは実は実の妹メロディをレイプしていた
・そのメロディは実の兄の子を身籠ってしまい、それが学校中に噂が広まってしまっていて拒食症になっていた
・体育会系で所謂スクールカーストでは最上位のジョックであるルークはゲイであることに苦悩していた(ゲイであるショーンをいじってるくせに彼が好きなのを隠している)
・人気者でモテるルークと付き合っているサラは、ルークを本気で愛しているが彼がゲイなのに薄々感づいていた
・ゲイであることをカミングアウトしているにも関わらず、周りだけでなく親にすら理解を得られずマリファナに逃げるショーン
・先天的な排尿障害とぽっちゃり体型でメガネなせいで、いつもイジメられているスティーブンは家族を思ってイジメに合ってるということを言えないず我慢の日々
・そして運命の2:37分、彼らの悩みを真剣に聞き優しくしていたケリーはひっそりとトイレに入り鍵をかける
・突如泣き崩れたケリーはハサミを手にして自分の腕を切る
・ケリーは出血多量で死に物語は終わるEND
ティーン・エイジャーの悩みに共感できるかどうか
(トイレで化粧とかトレイで歯磨きとか学生時代のあるあるですよね)
・家族コンプレックス(マーカス)
・レイプ被害、拒食症(メロディ)
・ジェンダー(ルーク、ショーン)
・恋愛(サラ)
・イジメ(スティーブン)
こうやってそれぞれの悩みを見てみると、良くあると言っては何だけれどもティーン・エイジャーらしい悩みが詰まってますよね。
まあ、流石にマーカスとメロディの関係はそうそうないでしょうけど・・・。
こういった悩みに共感できる部分があるかどうかで、この映画の評価はガラッと変わっちゃうと思います。
僕がこの映画を最初に観た時の評価って「意外性はあるけれど共感はできない映画」だったんですよ。
それは僕がこれらの悩みとは無縁の学園生活を過ごしていたから・・・ってそう思ってたんですよね。
でも数年たって考え方が変わった頃に、この映画を観た時にはラスト5分はボロッボロ泣いていたんですよ。
それは自分も学生当時に、この映画と似た悩みを抱えていたことに気づいちゃったんですよね。
ケリーに激しく感情移入
上の続きでちょいと自分語りになるんで、興味ない方はこの項目はすっ飛ばして大丈夫です。
そんで僕の高校生活ってケリーととても良く似ているんです。
学校では良くも悪くも「普通に過ごしている生徒」で、映画とかゲームとかのオタク趣味のわりにはスポーツもそれなりにこなせて多方面に知り合いもいたんですね。
でもその実仲のいい友人はなく、極端な話一緒に帰る友人が日替わりで違うなんてことも珍しくなかったんです。
普通学校って大抵仲良しグループができたりするし、みんなどこかしらに属するじゃないですか。
僕はそのどこにも属していなかったんです。
そのせいか僕の存在って空気みたいなもんだったんですよね。
誰とでも気さくに話せるけれども誰も僕のことには興味がなく、認識はしているけれどもいなくても気にも留められない存在。
だから僕がある日突然ケリーのように自殺したとしてもきっと「なんであいつが?」「悩みなさそうだったのに・・・」って思われたでしょうね。
この映画を始めてみた時には、まさか自分がケリーポジションの人間だったなんて思いもよらなくて感情移入できなかったんです。
でも後になって自分の学生時代を振り返ってたら、あることを思い出したんですね。
それが高校生の時のある日の出来事・・・突如として自分に存在意義を感じられなくてボロッボロ意味不明な涙を流しながら死のうって思っちゃったんです。
それまでは生きるだの死ぬだのなんて考えたこともなかったのに、ていうかその日の夕飯までは「借りたはじめの一歩の続き早く読みてぇ!」と思って早食いしてたのにですよ。
なのに突如として生きていることが辛くてしょうがなくなっちゃったんです。
そんでま~「アレ、わしってこの世の中に必要?」とか「誰でもないのに生きる意味あんのか」と言った事をモヤモヤと考えてたら一睡もできなかったんで、学校はとりあえず休んだんですよ。
まあ、疲れ切って寝たらケロッと元気いっぱいになってたんですけどね(ただの中二病?高二病?だったのかもしれない)
でもこういった自分の黒歴史を思い出してからは、すんごくケリーに感情移入するようになりましたね~。
ケリーは何故自殺したのか?
(ラスト5分のケリーの悲痛な表情は「わいが友達になる!わいがお前を見てるぞ!」と画面の中に飛び込みたくなります)
ケリーの自殺の原因って平たく言えば「誰か私を見て!」というシンプルなものです。
そもそも人って一人じゃ絶対生きていけないんですよね。
「アイ・アム・レジェンド」ってウィル・スミスの映画で、ウィル・スミスが地球上で唯一人生き残って(厳密には違うけれども)地球を破滅に追いやっているウィルスの特効薬を開発しているんですけれど・・・そこでウィル・スミスはマネキンに名前をつけてさもそこに人がいるかのように振る舞うんです。
きっとそうでもしなければ孤独で頭がおかしくなっちゃうからでしょうね。
だからケリーから見える景色ってウィル・スミスが話しかけてるようなマネキンに見えちゃってたんじゃないでしょうかね。
いくら話しても自分を認識してくれない孤独、不安、恐怖。
そして孤独感がドンドン強まり、自分という存在意義を保てなくなり、焦燥感と不安と恐怖の中でケリーが下した決断は・・・「自分を消すことで自分の存在意義を得る」事だったのかもしれません。
だって❝明日、自分がいなければ❞誰かが自分を認識してくれるのだから。
ケリーは色んな人に話しかけていろいろな人に優しくしていたんだれども、それはケリーが優しい人というだけの話ではなく「アナタの悩みを聞くからワタシを見て」というSOSみたいなもんだったと思うんです。
だから誰か一人でもケリーに「君の趣味って何?普段何してるの?」なんてやりとりがあったのなら彼女は死ななかったのかもしれません。
当事者になれない第三者でいることの苦しみ
誰かの何かの当事者になれないのって結構辛いんですよね。
例えば誰かとケンカをしたり、誰かを嫌ったりって相手が自分を認識してくれてるから成立するんですよ。
もし自分が一方的に相手をどれだけ嫌おうが、相手が自分に対して何の感情も持ち合わせてなければ、自分は当事者になれないんです。
あくまで第三者でしかないんですよね。
僕も高校時代に誰かの話題の当事者になれたことって殆どないんです。
強いて言えば野球部と揉めて殴り合いのケンカになったことくらい(フルボッコにされました)
基本的に誰かの恋愛相談を受ける、誰かの悩み相談を受ける、こういった事はいくつかありました。
でもそれはその人と別の誰かが当事者で、僕は第三者なんです。
第三者って別にいてもいなくてもいいんです、だって求められてもいなければ拒絶もされていないんですから。
そんで第三者でい続けるのって最初は楽でもジワジワと心を蝕んでいくんですよね。
うーん、こうやって振り返ってみると我ながら自分の高校時代って青春のせの字すらない。。。
何故もっと友人と親睦を深めて将来を語り合ったり、甘酸っぱい恋愛とか甘酸っぱい恋愛とかしなかったのだろうか。
まあ、高校時代にアホほど映画観てたおかげで映画ブログのネタは尽きないんですけどね!後悔はしてないよ!
・・・虚しくなってきたので止めよう。
まとめ
19歳にしてこんな映画を撮れるってすんげー!とか思ってたけれども19歳だったからこそこの映画が撮れたのかもしれませんね。
個人的には心に残る名作の1つとして凄く好きな映画です。
まあ、人によっては「え?そんなんで死んじゃうの?ただの構ってちゃんじゃん!」と感じちゃうかもしれません。
ぶっちゃけその考えも絶対違うとも否定はできないです。
でもそんな現実的で冷酷な考え方よりも、「認識されないことは死よりも辛い」と解釈したほうが、世の中は優しい世界になれると思うんです(若干意味不明)
それにチャチャッと答えを出して話を終わりにするのって楽かもしれないけれど、それって面白くないですからね。
ワンコが可愛い映画。
マネキンではなくボールに名前をつけて孤独感を紛らわしていた人。
欝映画定期。
鬱映画定期Part2。
ゆでたまさん、こんばんは!
この映画はガス・ヴァン・サント監督の「エレファント」にインスパイアされて作ったようですが、ティーンエイジャーの悩みは
何処の国も同じなんだなぁと思わされます。外国の方がいじめはキツイのかもしれませんね…(^-^;
私は昔からオタクで、今でいうスクールカーストの底辺だったわけですが(笑)、楽しそうにしてる上位の人も、悩みを隠して明るいイケてるリア充として振舞わなくてはいけないんだなぁ~と観てて複雑な気持ちになりました。
ゆでたまさんは第三者だったんですね!そういうポジションは
フットワークが軽くて、マルチタレントみたいにどこからでもお呼びがかかっていいなぁと私には羨ましいのですが、(グループに属するのは同調圧力がありますから)、それなりのお悩みがあったのですね。確かに一つ間違えれば入れ替えの利く「自分なんてどうでもいい存在」になってしまいますもんね。ゆでたまさんのまとめ、分かる気がします。よく「死ぬくらいだったら誰かに相談したらいいのに」って言う人いますけど、人に実際に話したら「ハイハイ、そういうことよくあるよね~」って軽く流されちゃうことありますもんね。その人が普通の人であればあるほど、人から真剣に相手にしてもらえない。だからケリーにとっては死ぬことが自分の存在を、誰かに気づいてもらう唯一の手段だったのでしょう。もちろん自殺は良くないことなんですが…本当に人間って難しいですね。
ゆでたまさんと私は物事の受け取り方や感じ方が違うので、別の観点を学ばせてもらっています。これからも宜しくお願いします。
雪さん、こんばんは!
外国は映画の影響もあるけれどもなんだかイジメの種類が激しそうですよね(ーoー;)
結局スクールカーストのどこに属してても悩みなんて尽きないもんですよね~。
特に少年、青年と言うものは物事をフラットに考えるのが苦手なので、余計に追い詰められてしまうのかもしれません。
そうなんです、雪さんの仰る通り。
「死ぬくらいだったら誰かに相談したらいいのに」・・・こんな風に誰かに「拒絶される」のが死ぬ程怖かったからどこにも属していなかったんだと思うんです。
そんで、恐らく当時自分の悩みを親にも誰にも打ち明けなかったのも、「はい?そんなことで??」と言われるのがメチャクチャ怖かったからなんでしょうね。
人間の感情ほど複雑怪奇なもんないですね~、まあだからこそ生きるのって面白いのかもしれませんが。
僕も雪さんの解説や考え方を聞けるのが楽しいですよ~、他者の生き方考え方って1つの映画を観るのと同じくらい楽しいですからね!
これからも映画の感想をネタに色々と学び合いましょう(^^)
こんばんは中村です。
このDVD今は廃盤になっててあまり観る機会もなくなってしまっていますよね。残念なことです。
上の雪さんもおっしゃっているように、映画としてはサント監督のエレファントの手法を基にして作っていますが、タルリ監督は多分友人の自殺と要因を伝えることのみが目的であり映画を作る事自体にはさほど重きを置いていなかったのだと思います。手法として映画を選んだだけであり他の意味はなかったのでこの一本を撮り終えた後は映画制作から関わりをたったのでしょう。
とはいえ、絶大なメッセージ性を持って視聴者に訴えかけてくる映画の中でもこれ程までに重たくのしかかる映画を造る人はそうそういないのではないでしょうか。この一本に掛けた思いが伝わってきます。
私は昔から楽器を扱うのが好きで今も気の知れた友人とたまにセッションをしたりもするのですが、その中に一人後から入ってきた人がいて、その人の以前の話を聞くと、どうも前のグループから性格的な違いからか爪弾きにされていたようで、その関係で学校でも上手くいかず引きこもりをしていた時期があるようです。また、自傷行為のため未だ腕に傷が残っています。
彼女がこの映画の中ではどの立ち位置にいるのかは明白ですが、彼女は私達の場所やその他の人達によってやり直す機会を得ました。しかしもしこの映画のようにずっと一人だったら、同じ結末になった可能性は0と言えるかと考えればとても他人事ではない思いです。
世界中探せばありきたりな事なのかもしれませんが当人にとっては自分の命を投げ捨てる程に大きな苦しみである事を再確認させられます。
関係ないですが、金田一少年の事件簿のどっかで自殺した犯人が「生きている方が辛い事もあるのよ」と言っていたのを思い出しました。
中村さんこんばんは!
この作品今は廃盤なんですね~、ブルーレイとかでまた出てくれるような事があればいいんですが・・・。
タルリ監督が友達の自殺を機にこの映画を撮ったと言うのは僕も昔どっかで聞きました。
実話って基本的に撮る監督の想いがギュッと詰まってるものだけれども、そういった実話系の中でも強烈なメッセージと想いを感じます。
特のラスト5分の映像は、何度観ても真に迫ってて胸が締め付けられますよね。
音楽やっているんですか!僕も音痴&リズム音痴(わりと本当に酷い)の二重苦だけどもカラオケや音楽を聴くのは好きですよ~。
うーん、出会いって大事とは言うものの、その方が中村さん達のような方と出会えた「いい出会い」って運の要素も大きいですからね。。。
人の運命は自分で選べると言うけれど、そもそも思い詰めた人に運命を選ぶ余力なんてないですもんね。
何に悩むか、何に絶望するかって本当に人それぞれですよね。
懐かしいですね~、世代なので金田一少年の事件簿はよく見てました。
そのセリフもなんとな~く聞いたことある気がします。
ちなみに、僕は人生や生死がディープに描かれた映画を観ると必ずロング・キス・グッドナイトのサマンサの言葉「生きることは苦痛に耐えることよ」ってのをいつも思い出します。
僕はこの言葉が凄い好きで、辛い時の支えにもなってる言葉なんですよね。