スーパー! ネタバレ感想
100点
ガーディアンズ・オブ・ギャラクシーで出世街道まっしぐらのジェームズ・ガン監督版キック・アス
しがないコックをやっているフランクはドラッグのボスのジョックに嫁のサラ(リヴ・タイラー)を寝取られてしまう。
絶望したフランク(レイン・ウィルソン)はある日子供向けヒーローものに触発され、自前のコスチュームをきて「クリムゾンボルト」と名乗り街の犯罪者達の頭をレンチでかち割っていく。
予告
一歩間違えればサイコサスペンスになりかねないのに悲しくも切ないヒーロームービーにしてしまったジェームズ・ガンは本当に素晴らしい。
小さい頃から何一つ人に誇れる事などなかったフランク(小さい頃に唯一逃げる泥棒の逃走方向を警官に教えたのだけが自慢)だが美しいサラと結婚できた事はどれだけ彼に生きる喜びと自身を与えたんだろう。
そしてどれだけそんな彼女を薬漬けにされ奪われた事が苦しかったのだろう。
そりゃ、脳みそパッカーンな妄想もみちゃうってもんだ。
人は生きがいなくして生きる事は難しい。
フランクは今まで誰一人救ってこなかった、サラを薬漬けから救えないどころか自分さえも救えてこなかった。
そんな何一つ救えない男が最後の希望を失い、失意のどん底に落ちたのならもう何も残らない。
何もかもを失った人間がヒーローと言うものに救いを求めるのは実にアメリカらしい。
こうして出来上がったどん底のヒーロー「クリムゾンボルト」は街にはびこる悪を成敗していく。
その中でも特に印象的なのは列に平気で割り込むカップルの男のどたまをかち割った事だ。
列への割り込みは小さな罪だけど誰もが頭をかち割ってやりたいとか脳内でかち割ってやった人もいるだろう。
でも現実はそんな事ができずただただイライラを我慢するだけだ。
でもそれをフランクは実行した、明らかに過剰な制裁だ。
しかし見る側の気持ちはどうだ?スッゲーすがすがしくないか?そうだ!俺たちゃこんなヒーローを待っていた!!
クリムゾンボルトはパニッシャーのようなアンチヒーローとは似てるようで違う。
パニッシャーは極悪人を情け容赦なく葬るが、クリムゾンボルトは日常にひっそりとはびこる小さな悪すら成敗する。
その爽快感は身近であるからこそのものだ。
映画館で携帯見る奴を殴ろうと思ったことはないか?静かなレストランで馬鹿笑いしてくっちゃべる集団をバットでぶっ飛ばそうとは思わないか?
そうな俺達の願いをクリムゾンボルトは叶えてくれる。
そんなクリムゾンボルトにも相棒ができる「ボルティー」だ、彼女の本名はリビー(エレン・ペイジ)で日常に退屈してて悪を成敗するフランクに興味深々だ。
二人の考えは似てるようで全然違う。
リビーにとってヒーローは憎い奴を叩きのめし快感を得るための免罪符、口実でしかない。
フランクにとってのヒーローは正義を執行しこの世から悪を一人でも減らす事が自分の正しい行いだと信じている。
だけど二人に共通して言えるのは正義の名の下に「暴力行為」を正当化してることだ。
結局暴力に正義など存在しない、あるのは破壊のカタルシスだけだ。
そんな二人にハッピーエンディングなど当然やってこない。
結局ジョックのアジトでリビーは「ヒーロー」になった犠牲を払う事になった。
そしてリビーを失った事でフランクはリビーのやりたかった事をやるかのように破壊行為を行う。
ジョックを追い詰め倒したところで何もえられはしない、ただこの世から悪人が一人消えるだけだ。
それでも行動する事で何かを変えられる可能性があるのならとクリムゾンボルトの最後の正義が執行される。
最後は救い出したサラは薬漬けから立ち直るがフランクの元をさっていってしまう。
きっとフランクに感謝はすれど愛はなかったのかもしれない・・・
フランクは自分には似合わないと思っていたウサギを買い、亡き「ボルティー」との思い出を眺めながら泣き崩れるところで物語りは終りを告げる。
映像、登場人物、音楽すべてどつぼの映画です。
スッゲー重そうに見えるストーリーも明るくてお茶目なリビーのお陰でだいぶ気軽にみれるんですよね。
リビーは完全にサイコパスで言う事ややる事もえげつないんだけど何故か嫌いになれないし憎めないんです。
それはきっと容赦のない暴力もフランクに対する舐めた態度も「悪意」ではなく子供のように純粋な「欲望」から来てるからなんでしょうね。
おもちゃを手に入れたかのように喜ぶリビーと駄目な大人臭漂うフランクのコンビは本当に素晴らしくてこの二人が家族のように過ごせれば・・・
なんて思わずに入れませんでした。
イヤ、そんな贅沢いわないからせめて「ゴッドブレス・アメリカ」のようなラストでも救いになったんですけどね。。。
結局リビーとフランクの出来事はコマとコマの間に起きた間の事でしかなったのだろう。
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